水谷豊

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
みずたに ゆたか
水谷 豊
[[ファイル:|0|]]
本名 水谷 豊
別名
生年月日 1952年7月14日
没年月日 月日
出生地 日本の旗 日本北海道空知郡芦別町(現・芦別市
死没地
国籍
民族
身長
血液型 A
職業 俳優歌手
ジャンル
活動期間 1965年 -
活動内容 1965年 -児童劇団に入団
配偶者 伊藤蘭
家族
公式サイト
主な作品
テレビ
傷だらけの天使
熱中時代シリーズ
刑事貴族シリーズ
相棒シリーズ
映画
青春の殺人者
相棒-劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン
レコード
カリフォルニア・コネクション
受賞
キネマ旬報主演男優賞(青春の殺人者)
備考
テンプレート

水谷 豊みずたに ゆたか1952年7月14日-)は、北海道空知郡芦別町(現・芦別市)出身の日本俳優歌手身長168cm体重60kg血液型A型。トライサム所属。

来歴[編集]

三人兄弟の三男坊。芦別町野花南、小平町達布など炭鉱街を炭鉱技師(出典不明)の父親の転勤に伴い転々とし、東京で育つ。東京都 立川第一中学校立川市)卒業(子供の頃によく諏訪神社で遊んでいたという)。大成高等学校三鷹市)卒業。その後、大学受験に失敗して働きながら浪人生活をおくる。

少年時代に白黒テレビを見て「この小さな箱がどうやって映るんだろう。いつかこの小さな箱に入ってみせるぞ」と考え、これが演劇の世界に入る遠因となったとのこと[1]

1965年、13歳のとき演劇に興味を持ち児童劇団に入団する。1968年フジテレビの『バンパイヤ』のオーディションを受けデビューしたと同時に見事主役に抜擢される。第一話では手塚治虫と共演を果たしている。

高校入学後に自分にはもっと合った世界があると思っていた事と、大学受験も考えていたため一度芝居を辞めた。その後、東京商船大学(現東京海洋大学海洋工学部)受験に失敗し、働きながら浪人生活を始めるが、あるときに「こんな事やっていてもいのか?」という気持ちに強烈に襲われ、「来年もう一度受けるといってもそれまで自分のこの状態じゃ持たない」と思い発作的に2ヶ月ほど家出をした。その家出のときにはじめは行くあてもなかったため、家の近所の公園の滑り台の上で野宿をしたという。その後、もう一度役者をやらないかと誘われ、アルバイト感覚で役者の世界に戻った。 このことは2013年8月2日の朝1でも語っていた。

1970年には『その人は女教師』(共演岩下志麻)で映画デビューを果たす。

1974年10月、日本テレビのドラマ『傷だらけの天使』に出演。深作欣二ら名だたる映画監督が演出したものの、当時は視聴率が伸び悩んだ。しかし、主演の萩原健一に対しての「兄貴ぃー!」と呼び掛けるセリフを後にとんねるずらがモノマネしたことなどから1980年代の若者にも知られる演技となり、後にDVD化もされるほど人気を得た作品となる。当初、水谷演じるイヌイアキラ役は火野正平湯原昌幸が候補にあがったものの、親友の松田優作の強い推薦もあり、水谷が抜擢されたというエピソードがある。この時に出会った萩原健一を永遠の兄貴だと語っている。この作品で共演した岸田森に「豊には見ている人にその役が素だと思わせるような役者になってほしい。豊はそれが出来るやつだと思っている」と助言をされ、その言葉を今も大切に思っている。

1975年の映画『東京湾炎上』では、脚本を読んで予定の役柄とは逆の立場の、テロリスト役に自ら志願。同じ日本人でありながら、大義のために日本人を追いつめる役を熱演した。1976年にはATG映画『青春の殺人者』でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞するなど、早くから演技力の高さが評価されていた。

1977年には、『はーばーらいと』(作詞:松本隆、作曲:井上陽水)で歌手デビュー。『表参道軟派ストリート』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)や『カリフォルニア・コネクション』(作詞:阿木燿子、作曲:平尾昌晃)をヒットさせる。

1978年10月、最高視聴率46.7%をたたき出したという伝説のドラマ『熱中時代(教師編)』の主演で大ブレイク。視聴率の取れるTV界の大スターとなる。それまで教師が主人公のドラマといえば、高校生と若い教師の青春モノというイメージだったが、現代っ子である小学生を相手に“子供とともに成長する新米教師”北海道出身の「北野広大」役は、『傷天のアキラ』などのそれまでのチンピライメージを払拭し、ファンの幅を広げた。この人気を受けて『熱中時代』のタイトルだけを継承し、設定を一新した『熱中時代・刑事編』もその後放送された。更に、『教師編』は後に続編が1作、単発の2時間スペシャルドラマが3本作られた。後に共演する寺脇康文は『熱中時代』の時の水谷のモノマネが得意なほどの水谷ファン。

1986年の「Unlimited Night Concert」を最後に音楽活動を休止。水谷曰く「芝居の台詞と違って、決められたリズムの中で歌わなければいけない音楽の世界では歌の主人公のイメージが充分表現しきれていない。しかし、コンサート会場はいつもいっぱいでそんな現実と自分の想いのギャップに違和感を覚えていた。」とのこと。

その後、2008年3月に22年ぶりに音楽活動を再開。代表曲『カリフォルニア・コネクション』等を中心にカバーしたアルバム「TIME CAPSULE」を発売した。若い頃の歌なのに、55歳という年齢になってようやく歌の世界がイメージできるようになってきたと自身が語っている。同アルバムはオリコンランキング・初登場2位を記録する大ヒットとなった。また、『TIME CAPSULE』発売記念イベントが2008年5月18日14時よりラゾーナ川崎PLAZAルーファ広場グランドステージで開催され、トークのほか往年の名曲「カリフォルニア・コネクション」「やさしさ紙芝居」「何んて優しい時代」の3曲を披露した。しかも22年のブランクすら感じさせない熱唱ぶりであった為、中には楽曲を聴いて感涙するファンの姿もあった。映画「相棒-劇場版-」の人気も重なり、会場には約1万人のファンが駆けつけ、会場の1階はもとより5階のテラスまでもが人で埋め尽くされた。この模様は翌日の各局の芸能ニュースでも放送され、かってのアイドルイベント並の勢いを彷彿とさせていた。観客の中には水谷豊本人からの意向により、『熱中時代』教師編第1シリーズの主題歌「ぼくの先生はフィーバー」を歌い、その第10話にも出演した原田潤が招待され、観客に混じって応援していた。

最近は『相棒』などのドラマや2時間ドラマ(『地方記者・立花陽介』、『探偵左文字進』など)もシリーズ化されるなど、今なお、幅広い層から支持を受けている。

2008年5月10日相棒においての演技が評価され同じく主演を務める寺脇康文と共に第16回橋田賞俳優部門を受賞した。

人物[編集]

演じるキャラクターには庶民的な設定が多く、近年は比較的おとなしめの役(相棒が顕著)が多いが、傷だらけの天使青春の殺人者などでは棘や影のある青年やチンピラ、刑事貴族ハローグッバイ探偵事務所シリーズでは、シュールでスピード感のある破天荒かつ調子のいい二枚目半的な役も演じていた。また、記者役においては地方が舞台などの形が多く、刑事役においては、ロンドン在住経験やイギリス車を重用、さらにはロンドン警視庁での研修勤務経験があることなど、何らかの形でイギリスと関わりのある設定が多い。『相棒』での演技をきっかけに紅茶を嗜むようにもなった。

熱中時代・教師編』ではオルガンとギターの演奏、ダンス、水泳、跳び箱による展開着地を披露し、『赤い激流』『相棒』ではピアノ演奏も披露するなど、多才を発揮している。

『熱中時代・刑事編』で共演したミッキー・マッケンジーと結婚をするも、離婚。1989年には、『あんちゃん』、『事件記者チャボ!』等で共演した元キャンディーズ伊藤蘭と再婚した。再婚時、インタビューで「奥さんの事を何と呼んでますか?」との質問に恥ずかしがりながらも「ランちゃんさん」と答えて笑いを誘った。その後、一女をもうけた。現在でも変わらず妻の伊藤蘭の事を自宅で「蘭さん」と呼んでいるそうで、「死ぬまでに1度はちゃん呼びしたいと思っている」と語っていた。また、娘には「ダダ」と呼ばれている。

あんちゃん』の後の『事件記者チャボ!』での伊藤蘭との共演は水谷が自ら指名して決まったという。この時指名したのは俳優としてもう一度共演がしたかったという理由だったが、当時周りには「好意を寄せているんじゃないか」と下手に勘ぐられたりしていたという。

今は亡き松田優作とは親友で(水谷は松田を「優作ちゃん」と呼んでいた)、互いの主演番組にゲスト出演するほどであった。共通の友人である桃井かおりは、まだ三人が若かりし頃に、「若い俳優達がたくさん出てきているが、その中でも優作と豊が一番俳優には向いていないと思う。二人には華がないし、短気すぎる」と言ったことがあった(2006年8月19日SmaSTATION-5』での水谷談)。 ちなみに松田に言わせれば、彼より水谷の方が短気だそうである。

少々ドジな性格で、寝ながらくしゃみをして肋骨を痛めたことがある。怒るとふくれっ面になる癖があるらしい。『相棒』では完成した役柄として毎回紅茶を飲んでいるが、ティーポットのお茶を肩の高さから手元のカップに注ぐ優雅な仕草は、実際の撮影ではしばしば飛び散る紅茶による火傷を我慢しているという。また、右京役で紅茶を飲むようになって、紅茶の美味しさに目覚めたと語っている。撮影中に飲んでいるのは、アールグレイやダージリンが基本で、たまにフレーバーティーを飲んでいる。

「10年間住み続けている自宅の中で迷子になるほど」の大変な方向音痴だという。方向音痴の逸話は他にもカーナビの音声案内が終了した後で道に迷う、3階の楽屋へ行こうとしてエレベーターを4階で降り、フロアは真っ暗な上に部屋には鍵がかかっているのを「何で開いていないんだ!」と喚いていた所を目撃される、転居後半年たって旧宅に帰りクルマを降りてから表札で気付いた、など。下戸でもある。

とんねるずの2人とは友人であり、石橋貴明は番組内では「礼節をきっちりしないと怒る人」と語っていた。1980年代に共通の友人であるフジテレビの社員を通じての旧友であり、ちなみにはじめての出会いは焼肉屋だったという。赤坂のキャピトル東急の「ORIGAMI」という店の排骨拉麺は二人の思い出の料理らしくうたばん出演の際にお土産に持ってきた。石橋にはじめて東京競馬場に連れて行かれた際、「売り場のおねえさんはテレビのイメージでいるから礼節をきちんとしなければダメですよ」といわれ馬券売り場にて「今日は馬券買わしていただきます」と馬券売り場に挨拶をしてまわったという。大の伊藤蘭好きの木梨憲武にはじめて出会ったときの事を「目が怖かった」と語っている。また、木梨とは、水谷のセルフカバーアルバム『TIME CAPSULE』のプロモに参加したり、木梨のブログなどでプライベートでもよく会う間柄である。

師としている人物の一人である岸田森と同じく、「あの役は地でやっているのですか?」ときかれる事が一番の褒め言葉だという。

出演作品[編集]

テレビ[編集]

テレビドラマ[編集]

第1話「マカロニ刑事登場!」(1972年)マモル
第30話「また若者が死んだ」(1972年)
第54話「汚れなき刑事魂」(1973年)牧恭一
第109話「俺の血をとれ!」(1974年)三郎

音楽番組[編集]

  • ザ・ベストテン(TBS。1978年5月25日放送の『今週のスポットライト』にて「表参道軟派ストリート」を歌ったのが初登場。その後「カリフォルニア・コネクション」のランクインにより出演)
  • 第4回日本テレビ音楽祭(1978年8月24日、日本テレビ)
  • 夜のヒットスタジオ(フジテレビ、1980年5月5日(「あす陽炎」)ほか)
  • オンタマ(2008年4月28日~5月2日、テレビ朝日)
  • SONGS(2008年4月30日、NHK)
  • うたばん(2008年5月8日、TBS)

バラエティ、その他[編集]

映画[編集]

()内は公開日

CM[編集]

  • S&B(エスビー食品)ポテトチップ - 「アラン・ドロンかなぁー」の台詞で有名。
  • シチズン時計腕時計「コスモトロン」-大滝詠一がCMソングを担当、『Niagara CM Special』収録。その裏ジャケット写真に三ツ矢サイダー等彼がCMソングを担当した商品やそのポスターと共に大滝が写っているが、そのポスターの一枚にこの「コスモトロン」のポスターが写っている。
  • ダイドーブレンドコーヒー
  • 旭化成ハイリキ(1993年) - 「刑事貴族3」終了直後の時期とあって、作中での台詞「あ~お恥ずかしったらありゃしない」や「みっともないったらありゃしない」を基にした「やめられないったらありゃしない」のフレーズが使われている。
  • カネボウ化粧品(1999年)- 伊藤蘭と夫婦で共演。

ラジオ[編集]

ディスコグラフィ[編集]

()内は発売日

シングル[編集]

『オレの愛妻物語』主題歌。
『熱中時代・刑事編』主題歌。65万枚を超すセールスを記録。
『熱中時代(教師編II)』主題歌。
『熱中時代(教師編II)』挿入歌。
『あんちゃん』主題歌。
『事件記者チャボ!』主題歌。
『気分は名探偵』主題歌。
『探偵左文字進』主題歌。

アルバム[編集]

「カリフォルニア・コネクション」のカラオケを収録し再販。

脚注[編集]

  1. 2008年4月26日放送「SmaSTATION!!」より

外部リンク[編集]