佐藤幹夫 (数学者)

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

佐藤 幹夫(さとう みきお、男性、1928年4月18日 - )は、日本数学者佐藤超函数概均質ベクトル空間D加群の創始者。大阪大学教授を経て京都大学数理解析研究所名誉教授。1992年退官。東京都出身。

東京大学理学部数学科で彌永昌吉に師事した後、一時期高校教師を務めるなど異色の経歴を持つ。ノーベル物理学賞受賞の物理学者朝永振一郎に学んだこともある。

業績[編集]

超函数を相対コホモロジー類としてとらえ、代数解析学を生み出した。超函数の理論としてはすでにローラン・シュワルツによるものがあったが、佐藤は解析関数の境界値の差として超函数をとらえるという、まったく独自の視点から定式化し直し、発展させた。ソリトンなど可積分系の研究、特に、ソリトン方程式のモジュライが無限次元グラスマン多様体になるという佐藤-佐藤の定理(夫人と共著)で有名。この定理は可積分微分方程式に対するガロア理論と見なすことができる。また、数論における佐藤・テイト予想や、ホロノミック量子場の理論でも知られる。

彼の弟子には柏原正樹河合隆裕三輪哲二神保道夫らがおり、「佐藤スクール」と呼ばれることがある。

人物[編集]

  • 不快でなじめぬ中学時代、それを忘れるため数学に没頭していたという。
  • 彼の講演を理解できる人がおらず、「ほとんどの聴衆は道に迷ってしまう」と述懐している。
  • 自身では論文をほとんど書かず、アイデアや方針を受けた弟子が書き留める。
  • 数学を解説するのではなく、独創的に作り上げるタイプの数学者。

木村達雄氏の思い出[編集]

のちに大学院の修士1年になったとき私は武術に夢中になり,真剣を使って戦いの集中力や持続力の稽古に没頭してしまいましたが,修士論文を1年後に提出しなければならなくなった頃,京都大学に佐藤幹夫先生を訪ねました。

ニコニコしながらコーヒーを入れて下さった先生は「どんな研究をしていますか?」と尋ねたので「実は武術しかしていませんが数学これから頑張ります」と答えた。先生の顔色が変わり,ものすごく怒られて「君の状態では新しい結果を出すのに一年半はかかる」と言われ,とにかく30分だけ,一対一で研究指導をして下さいました。その時,私は初めて勉強とは全く異なる研究の雰囲気,波動のようなものを感じ,研究はこうするのか,と思いました。

佐籐先生は「すぐ追い返したい所だが研究室を一つ使って良いから一週間したら帰りなさい」と言われ,更にオロオロする私に研究の心構えを教えて下さいました。

「朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようでは,とてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ」

と言われ,追いつめられた私は,まさにこれを実行しました。すると一週間で未解決問題の一つが解けてしまいました。佐藤先生に見せに行くと「君に出来る訳がない。どうしても正しいと言うなら,これが成り立つ筈だから確かめてみなさい」と言われ三日かけて再び持っていくと,それからは佐藤先生は毎日6時間以上に及ぶ個人指導を始めて下ざり,私をグイグイ引き上げて下さいました。

受賞歴[編集]

講義録[編集]

  • 佐藤幹夫述、野海正俊記「ソリトン方程式と普遍グラスマン多様体」上智大学数学講究録 No.18 (1984年)、上智大学数学教室
  • 梅田亨記「佐藤幹夫 講義録」数理解析レクチャー・ノート 5 (1989年)、 数理解析レクチャー・ノート 刊行会

参考文献[編集]

  • 『Weil 予想とRamanujan予想』「数学の歩み」1963 年
  •  『佐藤幹夫述,新谷卓郎記,概均質ベクトル空間の理論』「数学の歩み」15-1(佐藤幹夫特集号,1970 年刊)
  • 『佐藤幹夫の数学』木村達雄編、日本評論社2007 年
  • 『オイラーの数学ー代数解析の立場から』(数学セミナー 1983年11月号 日本評論社
  • 『代数解析学と私』(数理科学講究録810、代数解析学と整数論、1992年)
  • 『現代数学の広がり2 岩波講座 現代数学の基礎 34』(岩波書店 1997年)
  • 『数学のたのしみ no.13 佐藤幹夫の数学』(日本評論社 1999年)
  • 『佐藤幹夫の数学』木村達雄(編)(日本評論社 2007年)

外部リンク[編集]

テンプレート:ウルフ賞数学部門 テンプレート:京都大学数理解析研究所所長