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塾講師小6女児殺害事件とは、2005年に発生した、アルバイトの塾講師・同志社大学4年の萩野裕による、市立神明小学校6年生・堀本紗也乃ちゃん刺殺事件である。

事件概要

2005年(平成17年)12月10日午前9時ころ、京都府宇治市の学習塾「京進宇治神明校」(事件後、閉鎖)の106教室で、当時アルバイト講師で同志社大学4年・萩野裕(はぎのゆう/当時23歳)が出入り口を施錠した上で、椅子に座った市立神明小学校6年生の堀本紗也乃(さやの)ちゃん(12歳)に背後から近づき、出刃包丁で紗也乃ちゃんの首、頭、顔などを十数回にわたり切りつけた。紗也乃ちゃんは教室の奥に逃げたが、萩野は紗也乃ちゃんを突き飛ばして首を突き刺し、紗也乃ちゃんは失血死した。

萩野はその直後に自ら110番し、京都府警に現行犯逮捕されたが、遺体の周りは血の海。床には指2本と凶器に使われた包丁が落ちていた。血しぶきを吹きかけたように真っ赤に染まった壁。首の左右にほぼ同じ幅の傷があり、左から突き刺さった包丁が頚動脈を切ってそのまま貫通したと見られている。

事件発生までの経緯

2005年(平成17年)3月から、紗也乃ちゃんは株式会社京進が経営する「宇治神明校」に通っていた。

5月11日、萩野は塾での授業終了後、国語の個別指導ということで、紗也乃ちゃんを一人残して、約1時間20分にわたり、「学校は楽しいか、塾は楽しいか、お父さんは好きか?」などと訊いた。紗也乃ちゃんは「学校も、塾も、お父さんも好き」と答えると、萩野は「僕は心理カウンセラーの勉強をしているから紗也乃ちゃんがウソをついているのは分かる」と言った。紗也乃ちゃんは塾からの帰宅途中で迎えに出た母親と出会うと顔を見るなり泣き出した。その夜、紗也乃ちゃんの両親は塾に電話し、「萩野先生に不安を感じる」と訴えた。

だが、7月下旬以降も萩野の特異な行動は続いた。個人面談のときに顔を近づけてきたり、そばに寄ってきたりした。休憩中に「鬼ごっこ」していたが、知らない間に近づいてきた・・・。このことで紗也乃ちゃんの両親は再三にわたり塾に抗議したが、萩野はエスカレートしていった。

11月21日、紗也乃ちゃんが「もう国語の授業に出ない」と言うと、萩野は職員室の奥に紗也乃ちゃんを連れていき、「何で?」としつこく問い詰めた。

萩野の異様な言動に周りはすでに気づいていた。ロリコンで、塾の女生徒の髪型や服装に異常に詳しく、アイドルやアニメのフィギュアもよく知っていた。授業中に気に入った女の子がいると、「この問題、解かるかな? ○○ちゃん」と何度も声をかけ、そのうち手を握ったり、身体を触ったりした。授業が終わってからも、気に入った女の子を呼び出して、世間話をしながら、さりげなく身体を触っていた。授業中、生徒たちは見るに見かねて一斉にブーイングしたことがあった。授業中、萩野は黒板に書いた文字が間違っていることを生徒に指摘され、「ファイヤー」と奇声を張り上げた。生徒の間では「キモイ」「ちょっと変な人」という評判で「はぎっち」と呼ばれていた。

萩野は父親が大手電気メーカーの子会社役員、母親はヨガや太極拳の先生という家庭に育った。躾は厳しいことで近所では有名で、スナック菓子は厳禁、友だちが遊びにきても「勉強の邪魔になる」という理由で追い返していた。

萩野は叱られてトイレに閉じ込められることがときどきあったらしいが、その度に「出せぇ~。出してくれ。救急車を呼んでぇー」と叫び、その奇声が近所に響き渡っていた。中学生のとき、勉強中に窓を開け放ち、「X二乗プラスYは・・・」と大声を上げたり、深夜に「ウオー、オラー」といった奇声を発したことがあったという。

萩野は同志社香里高校から同志社大学法学部に合格。学部内でもっとも人気の高い「犯罪と刑罰」ゼミに入った。このころから萩野の家庭内暴力が始まり、母親が救急車で運ばれたことがあった。

2003年(平成15年)6月、萩野が3回生のとき、図書館で女子学生の財布を抜き取る窃盗事件を起こして、1年半の停学処分を受けた。このとき、現場を目撃していた警備員に抵抗してケガを負わせて懲役2年6ヶ月・執行猶予3年の有罪判決となったが、この窃盗事件について学習塾側は知らされておらず、同年11月に講師として萩野を採用している。

萩野裕

12歳小6女児刺殺の塾バイト講師、萩野裕(はぎのゆう)容疑者(23)、同志社大学4年生、法学部でゼミでは「犯罪と刑罰」を専攻、「子供と遊ぶサークル」に所属、執行猶予中。

府警によると、萩野容疑者は殺害の目的を果たすために講師が少なくなる日を選んだ上で時間を繰り上げて出勤し犯行に及んだことがわかった。犯行当日の朝、 学力テストのため集まった12人の生徒を犯行現場となった教室から 別の教室へ移動させていた。

この際、教室を移動するよう書いた張り紙を 事前に自分で作り、教室の扉に貼り付けていた。萩野容疑者は、校内アナウンスを使って、生徒らに移動するよう 呼びかけていた。また、児童が逃げないように部屋に鍵をかけていた。教室内の映像を映す事務室のモニターの電源コードのプラグを事前に抜いていた。 包丁2本は自宅近くのホームセンターで今月2日に購入し、さらに事件前日には、ハンマーを買い足しており、いずれも新品で、 自宅からかばんに入れて持参し、教室に持ち込んでいたこともわかった。

出刃包丁は刃渡り17センチ。府警の調べでは、首を貫通するほどの深手の傷が致命傷になったとみている。また、司法解剖の結果、児童の死因は首の右側を切りつけられたことによる失血死と判明した。顔や手にも十数カ所の切り傷があった。

犯行は約5分間だったと断定した。萩野容疑者は逮捕当初、「口論になった」「日頃から相性が悪く、2人きりになって 『あっちへ行って』と言われてかっとなった」などと供述。しかし事前に、包丁を購入したり、 自作のアンケートを用意したり、プラグを抜いたりしていることから府警は、供述内容に 矛盾があるとみていた。

府警は事件翌日の11日、萩野容疑者宅などを家宅捜索。自宅から、 パソコンや塾の出勤簿など6点を押収した。パソコンはノート形で、萩野容疑者が使っていた。また、萩野容疑者は、「通院歴があり、 薬を飲んでいる」と供述しているため、警察は、犯行当時の精神状態を 調べるための鑑定留置を検察と検討。しかし、犯行の計画性がさらに強まっていることで、警察は「責任能力を十分問える」 とみている。

中学の成績はトップクラス

中学はテニス部に所属。1年後輩の男性(22)は小学時代に同容疑者とケンカした際、 同容疑者の母から「うちの子は悪くない」と言われ、謝罪させられたこともあった。

塾関係者は「明るく指導熱心だった」と口をそろえる一方で〝陰の顔〟を指摘する声も多い。萩野容疑者は両親と3人で90年、宇治市寺山台の新興住宅街の新築2階建てに引っ越してきた。同容疑者の母は「30歳を過ぎて出来た1人息子」と話していたというが、小学時代から自宅で奇声を上げて騒いだり「登校前に母親にののしるような言葉を浴びせた」「皿が割れる音が聞こえた」「父母のもうやめてと叫ぶ声がした」(近所の主婦)ことも。

家庭内暴力もあったようで「家庭では王様のように振る舞っていたようだ」と近所の男性。「母親が救急車で運ばれた」とする証言もあった。一家と親しく付き合う人は少なかったという。

同志社香里高時代は全国の過疎の村を巡り調査・研究をして報告書をまとめる「地歴部」に3年間所属。同志社香里高から学内推薦により2001年4月に同志社大学法学部に入学、2年生のときゼミでは学部内で屈指の人気の「犯罪と刑罰」を専攻、「子供と遊ぶサークル」に所属していた。

大学では窃盗常習犯

京都府宇治市の小6女児刺殺事件で、殺人容疑で送検された元学習塾アルバイト講師の同志社大4年萩野裕容疑者(23)が2003年ごろ、大学構内で学生のかばんを盗むなど20数件の盗みを繰り返していたことが2005年12月14日、分かった。

萩野容疑者は同年6月、学内の図書館で女子学生の財布を盗み、警備員を殴りけがをさせたとして京都府警に現行犯逮捕された。府警が当時の捜査で余罪として裏付けていた。

府警によると、萩野容疑者は2003年6月までに、京都市上京区と京都府京田辺市の同志社大キャンパスで、机などに置かれていた学生のかばんや財布などを盗んでいたという。被害は計数十万円相当に上った。当時、動機について「自分も窃盗の被害に遭ったから」と供述していたという。

萩野容疑者は逮捕された事件で窃盗と傷害の罪に問われ、2004年3月に懲役2年6月、執行猶予3年の有罪判決を受けて刑が確定、現在も執行猶予中。2003年10月には大学から1年6カ月の停学処分も受けた。翌月から学習塾、京進宇治神明校でアルバイトを始めた。

この事件の時、9月に「大学に迷惑をかけた」として、母親を通じて「休学願い」を提出したが、大学側は受理せず、同年10月に教授会で1年半の停学処分を決めた。復学後は、教職課程科目の単位も取っていた。約1000人いる同大法学部の中でも、上位1~2割に入る成績。卒業まであと8単位を残すだけだった。

当時の塾は解雇されたが、5か月後の2003年11月に アルバイト講師として京進に採用。萩野容疑者の「京進宇治神明校」での紹介文は「人生は一回ポッキリ!」とピースサインの笑顔付き。小学生に国語を、中学生に英語を教えていた。同社に提出した履歴書には逮捕事実はなかったが、2004年3月に京都地裁で懲役2年6カ月執行猶予3年の有罪判決を受けており、刑は確定し今回の事件は執行猶予期間中だった。

ハギティ

学習塾の同僚によると、萩野容疑者は生徒から「ハギ」「ハギティ」と呼ばれていた。

「まじめで融通が効かず、杓子定規に授業を進めたがった」といい、また「教え子の女子生徒にストーカー行為を繰り返し、女子生徒が学習塾を辞めたこともあった」と証言。

授業中に特定の生徒を見つめることもあった。昨年には、女子生徒に体罰をして生徒は退塾していたことが明らかになったが、このトラブルは学習塾に報告されていなかった。大学卒業 後、同社の正社員になる希望を持っていたことが、京進が13日に行った記者会見で明らかになった。

11月下旬ごろに2人の間で何らかのトラブルがあったとみられる。同容疑者が セクハラまがいの行為を行っていたという情報も一部にある。学習塾「京進」の 立木貞昭社長は11日、京都市内で記者会見し、逮捕された萩野裕容疑者(23)が11月末、 児童を厳しくしかりつけていたことを明らかにした。

立木社長によると、児童の母親は夏以降、京進宇治神明校の中塚忠賢校長に 「先生と関係がうまくいっていない」などと3、4回にわたって相談。11月末に萩野容疑者は、 児童と担任の女性社員との3人で面談した際、児童を厳しくしかった上、 多くの宿題を課し、児童は泣いて帰宅したという。塾に通う児童の保護者からは事件の連絡が遅いと塾は指摘されている。

『キモい』と言われ、その言葉が消えない」と萩野容疑者が 供述していることも判明。「事件当日にも二人きりの教室で『キモい』と言われた」と言い、 同署は、児童に嫌われたと思ったことも動機とみている。犯行直後には萩野容疑者が 現場の教室から、携帯電話で自分の父親に「女の子を刺した」と電話していたことも分かった。

「目立った印象感じなかった」 萩野容疑者のゼミ指導教授が記者会見

京都府宇治市の学習塾「京進宇治神明校」で、同市立神明小学校6年の堀本紗也乃(さやの)さん(12)が刺殺された事件で、逮捕された同塾講師の同志社法学部4年、萩野裕(ゆう)容疑者(23)をゼミで指導していた同学部の瀬川晃教授らが12月12日、今出川キャンパスで記者会見を開いた。瀬川教授は事件について、「最初に知ったときは驚いたというのが一番だった。遺族の方にはご冥福をお祈りしたい」と述べた。

記者会見には瀬川教授のほか、同学部の佐伯影洋、西村安博両教授、谷口隆秀・同学部法学研究科事務長も同席した。萩野容疑者は2年生だった2002年10月、瀬川教授が担当するゼミ演習授業の前段階となる「法学演習」を選択。クラスの中では「ごく普通で、目立った印象を感じられなかった。ゼミのコンパや合宿でもトラブルはなかった」と同教授は説明した。

3年生になった翌年、萩野容疑者は瀬川教授の「刑法」をテーマにしたゼミに所属した。この年の6月、同容疑者は今出川キャンパスの図書館で、女子学生の財布を盗んだところを見つけた警備員ともめあってけがを負わせ、同年10月から今年3月までの停学処分を受けた。停学が明けた4月、同教授は萩野容疑者と大学で出会った。「傷害事件から更生したい気持ちが見受けられた」と振り返った。

その後10月にも萩野容疑者に会った。同容疑者は礼儀正しい態度だった。停学中に卒業したほかの学生に後れをとっていることを気にしていた様子だったため、「しっかり勉強して、卒業するように」と励ましたという。

事件後初めて授業が行われたこの日、瀬川教授は自分が教える講義の授業で学生たちに事件について発言。「事実は事実として、法律家として冷静に受け止めてほしいと訴えた」と話した。

京都地裁公判

2006年(平成18年)2月20日、京都地裁(氷室眞裁判長)で初公判が開かれた。萩野は罪状認否で「すべて間違いありません」と起訴事実を認め、謝罪した。

検察側は冒頭陳述で、学習塾での指導をめぐり2人の関係が事件前年の2004年(平成16年)夏ころから悪化していたことをあげ、「紗也乃さんの言動などから一方的に不信感と憎しみを募らせた」と動機を指摘。凶器の包丁を購入した2005年(平成17年)12月2日(事件8日前)の直前に明確な殺意が芽生えたとし、「紗也乃さんの『キモイ』という言葉が頭から離れず、裏切られ、恩をあだで返されたと思いこんだ」などと事件当時の精神状態を明らかにした。その上で、計画的な犯行と具体的な供述内容などから、萩野に完全責任能力があったと主張した。

これに対して弁護側も冒頭陳述し、「萩野被告は前年11月下旬から『(紗也乃さんが)両手で剣を持って突き上げてくる』という妄想に支配されており、犯行はそれに突き動かされた結果」などと反論。萩野が事件当時、心神喪失か心神耗弱状態だったと指摘し、無罪または減刑を求めた。

2007年(平成19年)3月6日、京都地裁で判決公判が開かれた。氷室真裁判長は、萩野の完全な責任能力を認めた上で「本来生徒を守るべき講師が教え子を殺害した特異な事件で、社会的影響の大きさは看過できないが、犯行直後に自ら110番し、自首が成立する」と述べ、懲役18年(求刑・無期懲役)を言い渡した。

裁判長は弁護側の求めで地裁が実施した精神鑑定に基づき、被告が「精神病様状態」にあった局面はあったと認定。また、一時的な精神状態の悪化により、事件の8日前に自宅で被害者の像が見えたことから、像を消すために犯行を思いついたとした。 一方、萩野が犯行直前まで大学の授業を受け、塾での仕事も支障なくこなしていた。凶器を用意し、監視カメラのコンセントを抜くなど周到な準備をしていたことなどを挙げ、「非常に計画性の高い犯行」と指摘。「精神病様状態」は恒常的なものではないとし、「犯行当時、心神耗弱だった」とする弁護側の主張を退けた。その上で犯行について「余りに残忍で執拗。凄惨さは筆舌に尽くしがたく、極めて悪質」と述べた。

量刑の理由については、アスペルガー症候群でストレスに弱い被告が、「精神病様状態」もあったという経緯の中で犯行に及んだ。自ら犯行直後に110番通報しており、自首が成立する。殺害の事実を認め、被告なりに反省を深めようとしているなどと説明した。

3月19日、京都地検は懲役18年を言い渡した京都地裁判決を不服として控訴した。翌20日、弁護側も京都地裁判決を不服として控訴した。

大阪高裁

2009年(平成21年)3月24日、大阪高裁は萩野裕に対し、懲役18年とした1審・京都地裁判決を破棄し、懲役15年を言い渡した。

的場純男裁判長は「犯行当時、被告は心神耗弱の状態だったとみるのが相当で、完全責任能力を認定した1審判決は是認できない」と述べた。控訴審では「犯行時、幻覚妄想状態に陥っていた」とする再鑑定を踏まえ、「アスペルガー症候群と著しい幻覚妄想の影響により、善悪を判断して行動を制御する能力が著しく減退した心神耗弱の状態だった」と認定し、量刑理由で「塾講師として塾生を保護すべき立場にあった被告が殺人者にひょう変した凶悪犯罪」と指弾する一方、「反省も深めている」などと述べた。

4月7日、上告期限となるこの日までに検察側、被告側ともに上告しなかったため、大阪高裁での懲役15年が確定した。

塾経営の京進に9900万円の支払命令

2010年(平成22年)3月31日、京都地裁は紗也乃の両親が事故防止を怠る安全配慮義務違反があったとして京進に約1億3000万円の損害賠償を求めた訴訟で、京進に9900万円の支払いを命じる判決を言い渡した。裁判長は塾側の使用者責任を認め、「講師の使用者である塾が、講師が負うべき損害賠償額と同額の責任を負うことはやむを得ない」と指摘。京進側の「女児殺害計画に気付くことは困難で、故意に罪を犯した講師とは責任が異なる」などとの主張を退けた。

関連項目