国民栄誉賞

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'''国民栄誉賞'''(こくみんえいよしょう)は、[[日本]]の[[内閣総理大臣]]表彰のひとつ。これまでに22人と1団体が受賞しており、賞の運用は[[1977年]]([[昭和]]52年)に定められた'''国民栄誉賞表彰規程'''に従って行われている。 内閣総理大臣や政権による表彰としては、本賞成立以前の[[1966年]]([[昭和]]41年)に当時の総理大臣[[佐藤栄作]]が創設した「[[内閣総理大臣顕彰]]」がある。 ==概要== [[1977年]]([[昭和]]52年)、当時の内閣総理大臣・[[福田赳夫]]が、[[本塁打]]世界記録を達成したプロ野球選手・[[王貞治]]を称えるために創設したのが始まりである<ref name="nikkei230804">「なでしこ表彰の舞台裏」 [[日本経済新聞]] [[2011年]][[8月4日]]夕刊 政界面</ref>。背景には、先に設置されていた顕彰、[[内閣総理大臣顕彰]]が「学術および文化の振興に貢献したもの」など6つの表彰対象を定めていた反面、プロ野球選手を顕彰した前例がなかったという事情があった<ref name="nikkei230804"/><ref>[[1977年]]時点での内閣総理大臣顕彰受賞者は、国家事業・社会事業関係者がほとんどで、スポーツ分野でもオリンピック競技で連覇した代表選手に限られていた。</ref>。また王は叙勲には若過ぎた<ref>叙勲被推薦者たるには70歳を超えている事が必要。</ref>という事もあり、そのため、より柔軟な表彰規定を持つ顕彰として創設されたのが本賞である<ref name="nikkei230804"/>。 本賞は、1977年(昭和52年)[[8月30日]]に内閣総理大臣決定された国民栄誉賞表彰規程に基づいており、その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」<ref name="naikakufu">[http://www.cao.go.jp/others/jinji/kokumineiyosho/index.html 国民栄誉賞について] - [[内閣府]]</ref>と規定されている。表彰の対象は、「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」<ref name="naikakufu"/>であり、かなり幅広い解釈が可能である。最初の授賞者である王が[[中華民国]]籍であったことからも明らかなように、[[日本国籍]]は要件にない。また公開されている授与基準の他に、「これまで功績を積み重ねてきた上に、さらに歴史を塗り替える、突き抜けるような功績をあげた」という「暗黙の了解」を満たしていることも必要だという<ref name="nikkei230804"/>。 本賞の表彰の仕方を定めた国民栄誉賞表彰規程実施要領では表彰の候補者について、「民間有識者の意見を聞く」<ref name="naikakufu"/>と定めており、首相の要望だけでは決められない仕組みになっている。有識者は授賞対象者に合った分野から選ばれ、順番に意見が聴取されるという<ref name="nikkei230804"/>。また、授賞に先立って本人(故人の場合には関係者)への打診が行われ、正式な検討手続きは受賞の意思が確認された後に開始される<ref name="nikkei230804"/>。 受賞者には「表彰状及び盾」のほか「記念品又は金一封」が贈られる<ref name="naikakufu"/>。すべて記念品の贈呈となっており、多くは銀製品や時計で、そのほか王には鷲の剥製が<ref name="nikkei230804"/>、[[2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表]]には熊野筆の化粧筆7本が<ref>[http://www.asahi.com/sports/fb/japan/TKY201108180375.html なでしこ、国民栄誉賞の表彰式 記念品は化粧筆7本] [[朝日新聞]] 2011年[[8月18日]]</ref>、[[吉田沙保里]]には真珠のネックレスが<ref name="sankei20121107">[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121107/plc12110722170015-n1.htm 吉田選手に国民栄誉賞を授与 記念品は真珠のペンダント] [[産経新聞]] [[2012年]][[11月7日]]</ref>贈られた。 贈呈・表彰式は慣例で内閣総理大臣官邸で開催されるが、[[2013年]]([[平成]]25年)[[5月5日]]に実施された[[長嶋茂雄]]・[[松井秀喜]]への贈呈は特例として[[東京ドーム]]で松井の引退式を兼ねて実施された。 ==受賞者== これまでに22個人1団体に対して授与されており、うち12名は没後の受賞であった<ref>[[失踪宣告]]の[[植村直己]]は没後扱いとする。</ref>。2011年(平成23年)には初めて、団体としての[[2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表|サッカー日本女子代表]]に授与され、その対象は選手とスタッフの35名となった。 {| class="sortable wikitable" style="line-height:1.4em; font-size:95%; margin-right:0px" |+ '''国民栄誉賞受賞者一覧'''<ref>[http://www.cao.go.jp/others/jinji/kokumineiyosho/kokumineiyosho_ichiran.pdf 国民栄誉賞受賞 一覧](PDF) - 内閣府</ref> |- style="line-height:1.25em; white-space:nowrap" ! style="padding-right:17px" | !!受賞者氏名<br />(芸名等)!! style="padding-right:17px" |受賞時<br />の年齢 !!受賞式開催年月日<br />(授与内閣)!!職業!!class="unsortable"|受賞事由!!class="unsortable"|他の栄典 |- |style="text-align:center"|1 !{{Display none|おう/}}[[王貞治]] |37歳||[[1977年]][[9月5日]]<br />([[福田赳夫内閣]])||{{Display none|47}}[[プロ野球選手]]||通算[[本塁打]]数世界新記録達成(756本)。||[[文化功労者]] |- |style="text-align:center"|2 !{{Display none|こか/}}古賀正夫<br />([[古賀政男]]) |style="white-space:nowrap"|没後受賞||[[1978年]][[8月4日]]<br />([[福田赳夫内閣 (改造)|福田赳夫改造内閣]])||{{Display none|07}}[[作曲家]]||独自の曲調「[[古賀メロディー]]」作曲による業績。||[[従四位]]<br />[[勲三等]][[瑞宝章]]<br />[[紫綬褒章]]<br />[[賞杯|銀杯一個(菊紋)]] |- |style="text-align:center"|3 !{{Display none|はせかわ かすお/}}[[長谷川一夫]] |没後受賞||[[1984年]]{{Display none|0}}[[4月19日]]<br />([[第2次中曽根内閣]])||{{Display none|01}}[[俳優]]||真摯な精進 卓越した演技と映画演劇界への貢献。||勲三等瑞宝章<br />紫綬褒章<br />銀杯一個(菊紋) |- |style="text-align:center"|4 !{{Display none|うえむら/}}[[植村直己]] |没後受賞||1984年{{Display none|0}}4月19日<br />(第2次中曽根内閣)||{{Display none|99}}[[冒険者|冒険家]]||[[大陸#大陸の数|世界五大陸]][[最高峰]][[登山|登頂]]など。|| |- |style="text-align:center"|5 !{{Display none|やました/}}[[山下泰裕]] |27歳||1984年[[10月9日]]<br />(第2次中曽根内閣)||{{Display none|48}}[[柔道]]選手||柔道における真摯な精進。前人未踏の記録達成など。現在の受賞者の中で史上最年少記録保持者。||紫綬褒章<br />銀杯一組(菊紋) |- |style="text-align:center"|6 !{{Display none|きぬかさ/}}[[衣笠祥雄]] |40歳||[[1987年]][[6月22日]]<br />([[第3次中曽根内閣]])||{{Display none|47}}プロ野球選手||連続試合出場世界新記録達成。|| |- |style="text-align:center"|7 !{{Display none|みそら/}}加藤和枝<br />([[美空ひばり]]) |没後受賞||[[1989年]][[7月6日]]<br />([[宇野内閣]])||{{Display none|05}}[[歌手]]||真摯な精進、[[歌謡曲]]を通じて国民に夢と希望を与えた。||紺綬褒章 |- |style="text-align:center"|8 !style="white-space:nowrap"|{{Display none|ちよのふし/}}秋元貢<br />([[千代の富士貢]]) |34歳||1989年[[9月29日]]<br />([[第1次海部内閣]])||{{Display none|48}}[[大相撲]][[力士]]||通算勝ち星最高記録更新。[[相撲界]]への著しい貢献。|| |- |style="text-align:center"|9 !{{Display none|ふしやま/}}増永丈夫<br />([[藤山一郎]]) |81歳||[[1992年]][[5月28日]]<br />([[宮澤内閣]])||{{Display none|05}}歌手||歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与えた功労。美しい日本語の普及に貢献。||従四位<br />勲三等瑞宝章<br />紫綬褒章<br />銀杯一個(菊紋) |- |style="white-space:nowrap"|10 !{{Display none|はせかわ まちこ/}}[[長谷川町子]] |没後受賞||1992年[[7月28日]]<br />(宮澤内閣)||{{Display none|99}}[[漫画家]]||家庭漫画(『[[サザエさん]]』)を通じて[[戦後#第二次世界大戦後|第二次世界大戦後]]の日本社会に潤いと安らぎを与えた。||[[勲四等]][[宝冠章]]<br />紫綬褒章 |- |11 !{{Display none|はつとり/}}[[服部良一]] |没後受賞||[[1993年]][[2月26日]]<br />([[宮澤内閣 (改造)|宮澤改造内閣]])||{{Display none|07}}作曲家||数多くの歌謡曲を作り、国民に希望と潤いを与えた。||従四位<br />勲三等瑞宝章<br />紫綬褒章<br />銀杯一個(菊紋) |- |12 !{{Display none|あつみ/}}田所康雄<br />([[渥美清]]) |没後受賞||[[1996年]][[9月3日]]<br />([[第1次橋本内閣]])||{{Display none|01}}俳優||映画『[[男はつらいよ]]』シリーズを通じて、人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えた。||紫綬褒章<br />銀杯一個(菊紋) |- |13 !{{Display none|よした/}}[[吉田正]] |没後受賞||style="white-space:nowrap"|[[1998年]]{{Display none|0}}[[7月7日]]<br />([[第2次橋本内閣 (改造)|第2次橋本改造内閣]])||{{Display none|07}}作曲家||独自の曲調「[[吉田メロディー]]」の作曲により国民に夢と希望と潤いを与えた。||style="white-space:nowrap"|従四位<br />勲三等[[旭日中綬章]]<br />紫綬褒章 |- |14 !{{Display none|くろさわ/}}[[黒澤明]] |没後受賞||1998年[[10月1日]]<br />([[小渕内閣]])||{{Display none|99}}[[映画監督]]||数々の不朽の名作によって国民に深い感動を与えるとともに、世界の映画史に輝かしい足跡を残した。||[[従三位]]<br />[[文化勲章]]<br />文化功労者<br />銀杯一組(菊紋) |- |15 !{{Display none|たかはし/}}[[高橋尚子]] |28歳||[[2000年]][[10月30日]]<br />([[第2次森内閣]])||{{Display none|48}}[[陸上競技]]選手||2000年[[シドニーオリンピック]]女子マラソンで優勝し、陸上競技で日本女子選手初の金メダルを獲得した。||銀杯一組(菊紋) |- |16 !{{Display none|えんとう/}}[[遠藤実]] |没後受賞||[[2009年]]{{Display none|0}}[[1月23日]]<br />([[麻生内閣]])||{{Display none|07}}作曲家||世代を超えて長く愛唱される、情感に満ちあふれた名曲を数多く世に送り出した<ref name="setsumei1">[[河村建夫]]官房長官の会見における説明。</ref>。||[[正四位]]<br />[[旭日重光章]]<br />文化功労者<br />紫綬褒章 |- |17 !{{Display none|もり/}}村上美津<br />([[森光子]]) |89歳||2009年{{Display none|0}}[[7月1日]]<br />(麻生内閣)||{{Display none|01}}女優||長年にわたって芸能分野の第一線で活躍し、特に『[[放浪記 (劇作品)|放浪記]]』において2000回を超える主演を務めた<ref name="setsumei1"/>。現在の受賞者の中で史上最年長保持者。||従三位<br />文化勲章<br />勲三等瑞宝章<br />文化功労者<br />紫綬褒章 |- |18 !{{Display none|もりしけ/}}[[森繁久彌]] |没後受賞||2009年[[12月22日]]<br />([[鳩山由紀夫内閣]])||{{Display none|01}}俳優||芸能の分野において長年にわたり第一線で多彩に活躍。数多くの優れた演技と歌唱は広く国民に愛された<ref name=setsumei2>[[鳩山由紀夫]]首相の授与式における説明</ref>。||従三位<br />文化勲章<br />勲二等瑞宝章<br />文化功労者<br />紫綬褒章<br />紺綬褒章 |- |19 !{{Display none|なてしこ/}}[[2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表|2011 FIFA<br />{{Nowrap|女子ワールドカップ}}<br />日本女子代表]] |団体受賞||[[2011年]][[8月18日]]<br />([[菅内閣 (第2次改造)|菅第2次改造内閣]])||style="white-space:nowrap"|{{Display none|48/}}[[女子サッカー]]チーム||[[東日本大震災]]などの発生によって日本国民が極めて困難な状況下に置かれるなか、同年の[[2011 FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子ワールドカップ]]で初優勝を果たし、最後まで諦めないひたむきな姿勢によって国民に爽やかな感動と困難に立ち向かう勇気を与えた<ref>[http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201108/2_a.html 官房長官記者発表 平成23年8月2日(火)] 首相官邸</ref>。||[[褒章|褒状]]([[紫綬褒章|紫綬]]) |- |20 !{{Display none|よした/}}[[吉田沙保里]] |30歳||[[2012年]][[11月7日]]<br />([[野田内閣 (第3次改造)|野田第3次改造内閣]])||{{Display none|48}}[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手||世界大会13連覇というレスリング競技史上、前人未到の偉業を成し遂げ、国民に感動と希望、勇気を与えた<ref name="sankei20121107"/>。||紫綬褒章 |- |21 !{{Display none|たいほう/}}納谷幸喜<br />([[大鵬幸喜]]) |没後受賞||[[2013年]][[2月25日]]<br />([[第2次安倍内閣]])||{{Display none|48}}大相撲力士||[[1960年代]]に“子どもの好きな物”として[[読売ジャイアンツ]]や[[卵焼き|玉子焼き]]と並び称されることが[[流行語]]になったほどの人気者。大相撲史上最多となる32回の幕内優勝を成し遂げるなど、“昭和の大横綱”として相撲界に輝かしい功績を残すとともに、多くの国民に愛される国民的な英雄として社会に明るい夢と希望と勇気を与えることに顕著な業績があった<ref>[http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201302/25kokumin_eiyo.html 平成25年2月25日 国民栄誉賞表彰式 | 平成25年 | 総理の一日 | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ]</ref><ref>[http://www.asahi.com/sports/update/0225/TKY201302250347.html 大鵬さんの国民栄誉賞表彰 夫人「天国で喜んでいる」] - 朝日新聞 [[2013年]][[2月25日]]</ref>。||正四位<br />旭日重光章<br />文化功労者 |- |22 !{{Display none|なかしま/}}[[長嶋茂雄]] |77歳||2013年[[5月5日]]<br />(第2次安倍内閣)||{{Display none|47}}プロ野球選手||闘志あふれるプレイと驚異的な勝負強さで野球史に輝かしい成績を残し、“ミスタープロ野球”として誰からも愛される国民的スターとしてプロ野球を国民的なスポーツにまで高め、野球界の発展にきわめて顕著な貢献をしたとともに、国民に深い感動と社会に明るい夢と希望を与える事に顕著な実績があった<ref name="kantei130401">[http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201304/01_p.html 内閣官房長官記者会見 平成25年4月1日(月)午後] 首相官邸</ref><ref name="kantei130416">[http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201304/16_a.html 内閣官房長官記者会見 平成25年4月16日(火)午前] 首相官邸</ref>。尚、受賞日をこの日(2013年5月5日)に選んだ理由は長嶋の背番号『3』、長嶋のプロ生活から55年の関係が有る事。||文化功労者 |- |23 !{{Display none|まつい/}}[[松井秀喜]] |38歳||2013年5月5日<br />(第2次安倍内閣)||{{Display none|47}}プロ野球選手 ||長嶋茂雄との師弟関係にあり、ひたむきな努力と真摯なプレイにより日米通じて20年間にわたり常にチームの主軸を担い、日本人初となるワールドシリーズMVPの獲得など数々の素晴らしい成績を残し、“ゴジラ”の愛称で日米の国民から愛され、親しまれ、その活躍は社会に大きな感動と喜びを与え、多くの青少年に夢や希望を与えた<ref name="kantei130401"/><ref name="kantei130416"/>。尚、受賞日をこの日(2013年5月5日)に選んだ理由は松井の背番号が『55』で有る事。|| |} *他の栄典欄には日本政府による公式な顕彰を参考記載。王は[[2006年]](平成18年)に[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]に対する[[褒章|褒状]]([[紫綬褒章|紫綬]])を受けている。 *他の栄典欄には[[官報]]の叙位叙勲欄、報道等で判明したものを掲載する。芸術・文化等の特異性から同一人性の特定が容易な勲章・紫綬褒章と異なり、他の褒賞(たとえば、私財の公共への寄付等に応じて授与される[[紺綬褒章]]など)は官報等に掲載があっても[[同姓同名]]の他人に対する授与記録である可能性が排除できないため、本表には記載しない(したがって、各自がこの「他の栄典欄」に記載のない栄典を受けている可能性は排除されない)。 ==辞退した人物== 賞の歴史上、以下の人物が受賞を辞退したことが明らかになっている。 *[[福本豊]] - [[1983年]](昭和58年)6月に当時の世界記録となる通算939[[盗塁]]を達成。[[中曽根康弘]]首相から授与を打診されたが、「そんなんもろたら[[排尿#立ち小便|立ちション]]もでけへんようになる」(本人談)として辞退した<ref name="sponichi20130402">[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/02/kiji/K20130402005528160.html イチロー2度打診も辞退 福本氏も「そんなんもろたら…」] - [[スポーツニッポン]] 2013年[[4月2日]]</ref>。日本全国向けには「呑み屋に行けなくなる」と報道された<ref name="SPA20130403">[http://nikkan-spa.jp/416257 「立ちションできへんくなる」国民栄誉賞を辞退した、世界の福本伝説] - 日刊SPA! 2013年[[4月3日]]</ref>。実際は「王さんのような野球人になれる自信がなかった。記録だけでなく広く国民に愛される人物でないといけないと解釈した」という心中を語っている<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20130409_181179.html 福本豊氏が国民栄誉賞辞退の理由「立ちションベン」ではない] - 週刊ポスト 2013年[[4月19日]]号。</ref>。なお大阪府知事の賞詞は受賞している<ref name="SPA20130403"/>。 *[[古関裕而]] - [[1989年]](平成元年)に授与(没後)が内定していたが、親族が辞退。 *[[イチロー]] - [[2001年]](平成13年)、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]で日本人選手史上初となる[[首位打者 (MLB)|首位打者]]を獲得する活躍を見せた事により、[[小泉純一郎]]内閣から授与を打診されたが、「国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」と固辞した。[[2004年]](平成16年)にも、メジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新した事から授与を検討されたが、再度固辞した<ref name="sponichi20130402"/><ref name="47news20041008">[http://www.47news.jp/CN/200410/CN2004100801001194.html イチローが国民栄誉賞辞退 「モチベーションが低下」] - 47news [[2004年]][[10月8日]]</ref>。 ==授賞に係わる問題点== [[美空ひばり]]に対する授賞など、没後[[追贈]]者が過半数を占めることについて、「なぜ存命のうちに授与しないのか」との声<ref>大薗友和『勲章の内幕』[[社会思想社]]現代教養文庫、[[1999年]]。</ref>、また「政権浮揚が目的」<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?key=%b9%f1%cc%b1%b1%c9%cd%c0%be%de&k=201107/2011072500790 時事ドットコム] 2011年[[7月25日]]<br />[[2000年]]の[[森喜朗]]首相による[[高橋尚子]]への授与に際して。1つの内閣で2回、3回と授賞した例もある。</ref>、「贈られる側の賞ではなく、贈る側の(政治家のための)賞だ」<ref name="nikkei230804"/>、「政治利用はいかがなものか」<ref>2011年、サッカー日本女子代表への授賞決定を受けての[[渡辺喜美]]発言。</ref><ref name="nikkei230804"/>などの批判があり、顕彰の事務手続きを行う内閣府官僚も、「結局、時の政権が『国民栄誉賞を出したい』と言えば出さざるを得ない」としている<ref name="nikkei230804"/>。 [[2003年]](平成15年)に開かれた[[文化庁]]の「映画振興に関する懇談会」では委員から、社会的認知という点において、[[三船敏郎]]の死亡時に国民栄誉賞を与えるという話があったこと、決定権を持つ総理大臣の個人の主観で受賞者が決定されることが挙げられ、文化芸術分野は文化庁等で話し合って受賞者を決めて欲しいという意見が出された<ref>[http://www.bunka.go.jp/geijutsu_bunka/03eiga_shinkou/eigashinkou_kondankai_giji_10.html 文化庁 映画振興に関する懇談会(第10回)議事要旨]</ref>。翌[[2004年]](平成16年)には、当時の内閣官房長官・[[細田博之]]が、選考について「確たる基準がなく、その時々の判断」とし、「王貞治には授与されたが長嶋茂雄には贈られていない」など線引きの難しさを指摘している。2013年に長嶋が受賞する方針になった際には、王が「授与されていないこと自体、不思議に思っていた」とコメントした<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201304/2013040100747 時事ドットコム:長嶋、松井氏国民栄誉賞関係・談話]</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130401-1106174.html 【ソフトB】王会長、長嶋氏栄誉賞喜ぶ - プロ野球ニュース:nikkansports.com]</ref>。 2011年(平成23年)7月、サッカー日本女子代表が団体では初の受賞となったことについて、表彰規定は表彰対象を「適当と認める'''者'''」としており、行政用語としてこれに該当するのは個人や法人であり団体は含まれない<ref name="nikkei230804"/>ため、[[日本経済新聞]]は「国民栄誉賞を団体に授与するなら表彰規定の見直しを行い、説明責任を果たす必要がある」と指摘している<ref name="nikkei230804"/>。 ==国民栄誉賞を授賞すべき人物== 以下は国民栄誉賞を授賞すべき業績のある人物だが、未だ授与対象にもなってない。 *[[武田鉄矢]] *[[国分太一]]([[TOKIO]]) *[[荒川静香]] *[[須藤元気]] *[[ウィキペディアにおける勇者]]の皆さん ==脚注== {{脚注ヘルプ}} <div class="references-small"> <references /> </div> ==外部リンク== *[http://www.cao.go.jp/others/jinji/kokumineiyosho/index.html 国民栄誉賞について - 内閣府] *[http://www.cao.go.jp/others/jinji/kokumineiyosho/kokumineiyosho_kitei_bessi.pdf 国民栄誉賞の表彰状及び盾の様式](PDF) *[http://www.cao.go.jp/others/jinji/kokumineiyosho/kokumineiyosho_ichiran.pdf 国民栄誉賞受賞 一覧](PDF) {{デフォルトソート:こくみんえいよしよう}} [[Category:日本の賞]] [[Category:国民栄誉賞受賞者|*]] [[en:People's Honour Award]]